雨と休日のインタビュー・シリーズ第9回。今回は、2017年3月に待望の初ソロ・ギター・アルバム『guitarscape』*1をリリースした中村大史さんをお迎えしました。これまでの音楽遍歴、そして新作についてお聞きしました。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの日本人若手アイリッシュ・バンドたち。その中でも代表格と言えるJohn John Festival*2やtricolor*3といったグループで活動することで広く知られるミュージシャンですが、彼の音楽的素養がアイルランド音楽だけと思ったら実は大間違い。高校時代は体育会系男子だった彼が、いかに現在の幅広い音楽活動に至ったかを紐解いていけたらと思っています。
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中村大史 / Hirofumi Nakamura プロフィール --
幼少期よりピアノに親しみ、その後ギター(DADGAD)、ブズーキ、アコーディオン、マンドリンを演奏するマルチプレイヤーとなる。 tricolor, John John Festival, O’Jizo 等数々のアイルランド音楽バンドのメンバーとして活躍する一方、シンガーソングライターやバンドへのライブサポートや録音参加、アコーディオンデュオmomo椿* では芝居やコンテンポラリーダンスの音楽を担当する等、活動は多岐に渡る。 北海道生まれ、東京芸術大学音楽環境創造科卒。
2015年春、季節と日々の生活に寄り添う食事と音楽 をテーマにした「食堂・音楽室 アルマカン」を吉祥寺にオープン。2017年春、初となるソロアルバム「guitarscape」リリース。
*1 Hirofumi Nakamura『guitarscape』
*2 2010年に結成され今や日本を代表するアイリッシュ・バンドとなった3人組。
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*3 tricolor『B&B』
2009年結成。NHK連続テレビ小説「マッサン」のサントラにも参加するなど創作の幅を広げている、これまた日本を代表するアイリッシュ・バンド。
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- 中村君に雨と休日で店頭BGM演奏*4をしてもらったのが2014年のゴールデンウィークでした。あれがギターソロのきっかけと思っていいんでしょうか?それ以前にはギターソロで演奏の経験は?
中村大史:はい、そうです。
ソロでライブをしたことは2〜3度ありましたが、そのときはアコーディオンやヴォーカルも織り交ぜてという構成だったので、ギターのインストでソロ、を意識的に取り組んだのはそのときが最初です。
- 突然の提案でしたが、事前の準備はしましたか?
もともと楽譜を使わずに演奏することの方が多いので、身体に残っているメロディーをいくつか確認して…。前から好きだったりバンドでレパートリーになっているアイリッシュの曲や、自分が作った曲、友人が作った曲、あとは曲と曲の間の、曲ではない部分…ただギターの音の余韻や並びのようなものを弾いていた覚えがあります。
- アイルランドの伝統的な曲は中村君の体にもう染み込んでいるということでしょうか?この曲を弾いてくれ、と言ったらすぐ弾けるような曲が何曲もあるような。
そうですね…エアー*5と呼ばれるゆっくりとした歌のような曲やワルツは、数に困らない程度はレパートリーがあると思います。
- そこで、まずは中村君のルーツを探ってみたいと思います。アイルランド音楽との出会いは大学時代だったと聞きましたが、いきなりアイルランド音楽に惹かれて音楽を始めたんですか?
はい、大学2年生のときにアイルランド音楽のサークルが設立されて、それに入ったのが最初です。
高校時代に好きだったのがAkeboshiさん。彼は当時リヴァプールに留学中で、楽曲にそういった楽器や曲調が反映されていました。それと関係なく、大学進学後にギターを始めたりしていて。最初は友人とゴンチチをカバーしたりそんな雰囲気のオリジナルを作って弾いていました。そして、新設のアイルランド音楽のサークルに友人がいたのでのぞきにいったら、「あぁ、あれだ!これだ!」ってなって。
- 高校時代は体育会系…陸上部でしたっけ?そんなスポーツマンだったのが音楽に転向した大きなきっかけみたいなのはあります?
陸上とスピードスケートです。高校時代はそればっかり…。中学校まではピアノを習っていましたが、当時はスポーツの方がやりたくてやめてしまいました。
音楽に転向したきっかけは、特になくて…スポーツをこの先ずっとやるイメージができなくて、何か新しく方向転換したいなと思ったときに、やりたいことが音楽に関することだったので、それができる学校(東京芸術大学)にまずは飛び込んでみようと。でも、自分が実際に演奏しようと思っていたわけではなかったです。
- 学生時代にアイルランド音楽の洗礼を受けて、その道の鍛錬を繰り返してきたのだろうと想像しますが、しばらくはアイルランド音楽一直線だったんでしょうか?
一直線ではなかったです。学生の頃は何でもやってみたかったし、音楽に限らず知らないことだらけで吸収したい気持ちも大きかったです。アイルランド音楽は、憧れで学んでいくもの。自分が創作や表現をしたり、自分らしさみたいなものを発揮するのはむしろ他に求めていたと思います。あとは、アコーディオンデュオのmomo椿**6を始めたのもその頃で…。
- 大学の同期である権頭真由さんと組んだmomo椿*を始めた頃に、その先の、アイリッシュ以外でやりたいことのヴィジョンなんかは見えていたんでしょうか?
特にヴィジョンはなかったと思います。何か、自分にとって新しいもの(音楽は勿論、感覚とか、縁とか)に出会えるのがひたすら楽しかったんだと思います。そういう意味で、momo椿*で活動することは、全てがそれに当てはまっていたと思います。
音楽をやることがどんどん好きになっていく一方で、音楽のことだけ考えることへの抵抗があったのかもしれません。そこまで音楽を信じていいのかな〜みたいな。遅れてきた思春期みたいですね。
- その頃、音楽活動としては何をやってましたか?
アイリッシュのバンドが幾つも始まった頃ですね。2008年にO'Jizo、2009年にtricolor、2010年にJohn John Festival…そちらの活動が活発になる一方で、momo椿*らしい活動はなんだろうって考えながら、舞台の音楽を担当したり、曲を作ったりして、その中でギャロンのCD*7を作りました。
- アイルランド音楽をやっている日本人は少数派で知名度も低い、なのに演奏のレベルが高いという驚きがまずあって。さらにmomo椿*なんていう、クラシックとか舞台をやってた人間にとっては「お!」って思えるような活動もしているのだから、この中村大史というミュージシャンはちょっと凄いなと、最初中村君とその周辺のことを知っていく度に思ったんです。ロックだったらとにかくロック、歌を唄うのなら歌手の道を究めて行って…というのが普通だと思うんですが、割と初期から視野とか活動範囲が広いミュージシャンというのは、そうそう居るもんじゃない。
さっきの思春期話からすると、そもそも視野を広くもつところにこだわっていたのだと思います。
- 具体的には?
いや、たまたまの出会いやタイミングが重なっていって、新しいことをどんどんやっていただけかと…。
- なるほど。中村君にとって「出会い」とか「興味」というのは重要なキーワードなのかもしれないですね。自分の人生を振り返ってみて音楽家になることを想像できました?あるいはその予兆みたいなものは。
それもいつの間にかだんだんと…ですね。どうしてもやりたい!というよりは、もうちょっとやってみたいな〜の連続でした。今となっては音楽のことだけでやりたいこともやることも沢山ですが、今でも音楽じゃなくてもいいかな、とは思っています。でも結局やっているのはずうっと音楽のことなので、最初からその予兆とも言えますが…。
- 僕はそんな部分をなんとなく中村君に感じていたから、ギターソロの提案をしても大丈夫なんじゃないかと、あの時思ってました。それにアイリッシュ・ミュージックをギターで弾いてくれたら絶対にいいものになると思っていましたし。
ちなみに演奏できる楽器はどのくらい種類がありますか?
ギター、アコーディオン、ブズーキ、マンドリン、バンジョー、ピアノ…他に持っていて制作に使ったりするのはアイリッシュハープ、足踏みオルガン、ホイッスル、といったところでしょうか…。
- 凄いですね(笑)。